2012年9月27日木曜日

「ニホンザル」 ~その実態は?~



私たちにはお馴染みの「ニホンザル」の話題です。
 童話の中や動物園等で見るサルは、ヒトによく似たかしこい動物としてとても人気があります。また、写真のような親子のサルは、特に微笑ましいですね。

 でも今日の日本では、このおサルさんが人間社会に大きな害をもたらす「有害鳥獣類」とされ、何とも困った存在になっているようです。
 スイカや柿、リンゴ、ナシ等の身近な果樹が根こそぎ被害に遭う場合もあるようで、県内のサルによる被害額は、年間約1億5000万円にものぼるとか。 
 山口県猟友会の皆さんには、地元自治体等から頻繁に出動要請があるようですが、何しろ相手は利口なサルですから、たやすく解決には至らないようです。。

 ニホンザルは人間と同じ霊長類の仲間で、日本意外の国には住んでおらず、しかも、南は鹿児島の屋久島から、北は青森の下北半島までのほぼ全国の山間部に生息していますが、屋久島のニホンザルは亜種で「ヤクザル」と言われるそうです。
 また、淡路島、小豆島等一部の離島にも住んでいるそうです。

 では、ここ山口県内では、どの地域にどれくらいのニホンザルが生息しているのでしょうか?
 興味を持った小生は、山口県猟友会と山口県自然保護課にお話を聞きに行ってきました。

 
 係官の説明によりますと、山口県では2006年の調査による推計で、約1,500頭のニホンザルが28位の群れをつくって、主として県の中部以北の山間部を中心に生息しているようです。(下の、県農林総合技術センター作成の生息状況地図参照) 


この調査は少し古いようですが、調査が難しいのでその後は行われておらず、かなり増加している可能性はあるようです。

 野生のニホンザルは、メスを中心に数頭のオスを含む十数頭から数十頭の群れで遊動生活をしているようで、遊動域は1km2程度から25km2にも及び、メスは通常2年~3年に1度の割合で出産し、1頭の子を出産するようです。

 ところで、近年、山口県内でも下関市や山口市等の街中でよくサルの目撃情報が聞かれるようになりました。こうした住宅地等に出没するサルは「ハナレザル」「ヒトリザル」などと呼ばれ、群れのメスザルに見放された寂しいオスザルが多いようです。
(そのためか、1人歩きの女性の背後から近づき、ハンドバックを引っ張ったり噛みついたりすることがよくあります。)

 ニホンザルは雑食性で果実・種子・葉・芽・昆虫その他の小動物等を食べますが、近年、生息地域が徐々に人里に近づいているようです。その主な理由は、山間部に針葉樹の植林がすすみ、その結果、果実等の食べ物が減ってきたことによるようです。

 山口県では、ニホンザル等の鳥獣類を適正な生息数にして管理すべく、狩猟やワナ等による捕獲目標を定め、いろいろ努力されているようです。
 しかし、サル以外のニホンジカやイノシシは捕獲の成果が出ているようですが、ニホンザル捕獲数は、年に200~400頭程度とかなり少なめです。
 なお、余談ですが、「ニホンザル」は、許可を得て捕獲すると1頭につき2~3万円の報労金もあるそうです。
でも、私たち人間によく似たサルは猟師さんも撃つのを嫌がられるとか・・・。
また、「サル撃ち名人」と言われる猟師さんも何人かおられるようですが、近年はサルの方が名人に近づいてくれず、お互いの知恵比べですね。

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2012年9月26日水曜日

オレンジ色の彼岸花

「オレンジ色の彼岸花」、本日(9.26)午前中見に行ったところ残念ながら萎れてました。
やはり彼岸花だし、もう少し早く見に行くべきでした。
今、山口市内ではあちこちで赤い彼岸花が花盛りです。
そして、ピンクや白色(黄色)の花も時々見ますが、オレンジ色の花は山口市内ではここだけ?のような気がします。(他には知りません。)
それも、たった1~2輪のみですし、来年、見に行ってみようという方のために、場所を記しておきます。
山口市大殿大路にある「龍福寺」の参道です。
以前、屋根を修復したとの情報をこのコーナーで紹介た、大内義隆の菩提寺である龍福寺の参道です。
わずか40~50mの参道ですが、モミジ等の樹木が茂っていて日当たりが悪いので、花付きがよくないように思います。
今日現在、白花数輪のほか、赤花は5~6株以上咲いていました。
オレンジ色の花は、たった1輪のみしかなかったですが、写真のように萎れてました。
~とっても残念な情報で、申し訳ありません。~

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2012年9月19日水曜日

種田山頭火の 「其中庵」(ごちゅうあん)






  山口県出身の有名な歌人、俳人 に、中原中也や金子みすずがいるが、「種田山頭火」も忘れてはならず、彼が晩年、6年余り住んで作句に励んだ庵「其中庵」を紹介する。

    “分け入つても分け入つても青い山”(句集:鉢の子より)
等の句で有名な「種田山頭火」(本名・種田正一)は、明治15年防府市で生まれ、昭和15年に松山市で亡くなった。(58歳)

 実家は大地主で、若き頃より俳句に親しんだ山頭火は、早稲田大学文学部に入学するも神経衰弱で退学帰郷、その後、父との酒造業が破産、妻子との離縁等々の不幸が続いたあげく、大正13年(42歳頃)に熊本市の曹洞宗報恩寺で出家、大正15年から行乞(ぎょうこつ)の旅を始めた。

 山頭火は28歳頃から「山頭火」と名乗ったと言われるが、作句と行乞の旅に生きながらも安住の地を探し求め、昭和7年9月に、当時小郡(おごおり)に住んでいた俳友、国森樹明、伊東敬治らの勧めによってこの地に「其中庵」と名付けた庵を結び、昭和13年10月までここで暮らした。















 そして、多くの俳友等と交流を深めた「山頭火」は、近郊を行乞しながら、この其中庵で、『三八九』(さんぱく)第四、五、六集、句集『草木塔』、『山行水行』、『雑草風景』、『柿の葉』など自由律俳句と言われる句集を発行し、最も充実した文学生活を過ごしたが、庵の老朽化に耐えられず山口市に居を移した。  

 現在の其中庵は、平成4年3月に当時の建物を復元したものである。
  ~貼付した現地案内板写真の説明を参照~


 また、其中庵のすぐ近くに其中庵休憩所(日中無料開放)があり、駐車場も完備されているが、ここに至る経路が少し分かりづらいのが難点である。経路途中には、何カ所か山頭火の句碑が設置してあるので、山口市小郡地域交流センター等に駐車して、徒歩で行っても10分程度である。

所在地 
山口県山口市小郡下郷1811


 
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イタリアン風レストラン “F i o r e”

小郡、まきはら病院に併設されている、手作りピザとパン工房イタリアン風レストラン「Fiore」に行ってきました。
ここではピッツァ、パスタ、洋食、和定食、うどん、そば、デザート、ドリンクetc,ニューも豊富。特にピッツァは石の釜で焼き上げられるそうです。
以前ランチに行った時もそうでしたが、満席が続く程の人気店ですので、早めの時間に行かれる事をお勧めします。
 (食券前売りシステム)

今回は昼下がりだったので、パンを買いに行ってきました。

本来あんパン、ラズベリーパン、ソーセージパン、カボチャパンetc,があるはずなのですが、時既に遅し・・・残り少なく選べる状態では無く~そこで目についたのがラッキーな事に、人気NO1のクランベリーパンといちじくパンでした。どちらを買おうか迷いましたが、どちらも美味しそうなので結局二つ買って帰りました。
お味はVery good でした。



山口市小郡若草町3番5号
9:30~15:30営業
日、月、祝祭日定休日
083-973-0234
駐車場有り






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2012年9月14日金曜日

維新ダイニング 十楽



情緒豊かな城下町、長府にあります「十楽」へ行ってきました。
店舗はリバーサイドテラストの2F、全面ガラス張りになっており、窓越しからは、長府藩侍屋敷長屋が見渡せます。
もっと準和風のお店造りかと思っていただけに、斬新な造りがモダンで印象的でした。


メニューは、和食、洋食、イタリアン、定食、etc.
その中で今回は瓦そばセット、海の幸ペペロンチーノをいただきました。

 ←瓦そばセット
熱々の瓦の上に軽く焼き上げた茶そばをつゆでいただきます。
トッピングには、牛ロース、錦糸卵、エビ、ネギ、レモン。とても上品なお味です。
セットには、じゃこ飯、刺身、ごま豆腐。
食後にはシャーベットが付き、1,480円。


←海の幸ペペロンチーノ
エビ、イカがふんだんに使われ、個人的にはもう少しニンニク&鷹の爪が効いた方が・・・お好みですが。
ポタージュは結構濃厚なお味ですが、とっても美味しく感じました。






←食後にはデザート、コーヒーが付き、お値段は1,280円。





     十楽は、明治4年創業の老舗料亭古串屋の別館だそです。
     観光がてらに一度立ち寄られてみてはいかがでしょうか。


               下関市長府南之町6-5 リバーザイドテラスト2F
       11:30~14:00 17:00~21:00
           定休日 不定休
           083-245-2110
          駐車場 1Fに有り
 


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牛すじカレーの「With Weed」(ウィズウィード)


 山口市小郡に「牛すじカレー」が食べられるお店「With Weed」があると聞き、早速、行ってきました。
 11時開店で、11時過ぎに着いたところさすがに1番でした。
 左隣りにアメリカンバイクショップ「RIDE」があり、「With Weed」は同じ建物内に併設されてましたが、一見、カレーショップとは思えない?外観でした。



 









店内に入ると、天井に直径20~30cmもありそうな丸太の梁が縦横にドッシリ、また、壁一面にはアメリカンバイクのナンバーなどがビッシリ貼りめぐらされ、実にアメカフェ的雰囲気を醸し出していました。
 席はカウンターに4席、2~4人掛けテーブル4脚,7~8人座れそうな長テーブル1脚があり、20人以上は入れそうです。
 
 お店の女性オーナー:有元さんに、メニューの中から最近地元テレビで紹介されたというオムライスが載った牛すじカレー(750円)を勧められ注文、でも私は、ケチャップは掛けず、代わりにネギをトッピングしたオリジナルなカレーにしました。

 約10分後に注文のカレー(写真)が出てきましたが、ちょっと多すぎたかな?って思うくらいボリューム満点、噂の牛すじもたっぷり入ってます。
 早速いただくと、噂どおり実にうまい!。
 とろけそうなほど柔らかく煮込んだ牛すじカレーは、辛さも程よく、また、タップリとトッピングしてもらった白ネギとの相性もピッタリでした。





他にも、メニューは色々ありますが、やはりこの牛すじ入りのカレーは、ちょっとクセになりそうな味でした。

 食後、有元さんに少し尋ねてみると、昨年の9月に山口市の赤妻町からこちらに移転されたそうで、やはり、隣接のバイクショップと一体での移転のようでした。
 有元さんは秀麗な女性ですが、実はご自身もハーレーのオーナーで、よくツーリングに行かれるとのこと、アメリカでの生活があるのでは?とお尋ねしたところ、それは無いようでしたが、有元さんご自身が、どこかアメリカン的オーラを感じさせる方でした。

 是非一度、食べてみる価値のあるお店だと感じました。
 メニューは沢山あるので、下記HPで詳細を確認してみて下さい。
        http://withweed.re-nets.com/


Ame-Cafe & Curry “With Weed”        
 山口市小郡上郷上郷4423
 電話:083-973-1808
 営業時間:11:00〜20:00(金・土・祝前は〜23:00)
 定休日~木曜




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2012年9月12日水曜日

日産自動車創始者「鮎川義介」のルーツ

明治維新以降、萩毛利藩等を中心として山口県内から数々の政財界の英傑が誕生していることは周知の事実である。
 そんな中、日産自動車をはじめとする「日産コンツェルン」創始者が山口県出身者だと言うことは、意外と知られていない。
 その創始者とは、鮎川義介(あゆかわよしすけ)という人物であり、彼の誕生地を示す「石碑」が山口市大内御堀(氷上)の伊達さんという家の敷地内に建てられている。
 


 この度、伊達さん宅を尋ね、奥様から石碑の経緯を聴くことができ、また、庭の一角にある石碑の写真撮影もできた。
 伊達さんの話しによれば、鮎川義介は、明治の元勲・井上馨の姪:仲子を母とし、旧長州藩士:鮎川弥八を父として、明治13年11月6日、現伊達方である山口県氷川郡大内村(現山口市大内御堀氷上)で生れている。
 萩出身の鮎川弥八が山口市に移住した理由は定かでないが、当時、義介の父:鮎川弥八が伊達家の家を借りて住んでいた模様である。
義介一家は、義介が生まれてまもなく山口市内の別の家に転居したらしく、義介はここで育ってはいない。しかし義介は大叔父:井上馨からエンジニアになるよう勧められたことから旧制山口高校卒業後、東京帝国大学工科大学機械科に進んだ。こうしたことから、義介は高校時代まで山口で過ごしていたわけだ。
 大学卒業後は、西欧の状況を体験すべく渡米等して勉強し、1911年(明治44年)、井上馨の支援を受けて福岡県遠賀郡戸畑町(現・北九州市戸畑区)に戸畑鋳物株式会社(現日立金属)を創立した。
その後、昭和3年から戸畑鋳物で自動車部品の製造を始め、昭和8年には自動車部を設立、ダット自動車製造大阪工場の買収等を経て、横浜市に自動車製造会社を設立した。

 昭和9年に社名を「日産自動車」に変更し、昭和10年には大量生産方式による第1号となるあの有名な「ダットサン14型セダン」を横浜工場で完成させ、2年間で累計1万台を生産したとのことり、まさに、現日産自動車の産みの親のルーツは山口だと判明したわけでありました。
 なお、同石碑は、、鮎川義介が設立した井上育英会の母体である櫻菱會により、昭和39年5月に建立されたもの。

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2012年9月6日木曜日

県在住シンガーソングライター“毛利治郎”さん


岩国市に、“毛利治郎”さんというシンガーソングライターがいる。
 山口県在住のミュージシャンも何人かいるが、彼はとっても異色だと、私は感じている。
 その理由の一つは経歴にあり、本格的に音楽活動を始めたのは51歳の時で、それまでは銀行員だったそうだ。(具体的な経歴等は、彼のブログを参照)

 そして、彼の作る歌にも特色がある。彼の歌のテーマは、「自然」「家族」「故郷」「命」等に関するものが殆どであり、否が応でも聴く人の郷愁をそそる。
 だから、彼のライブは田舎の祭りなど他の催し会場や、田んぼ、納屋、お寺など、あらゆるところが会場になるようだ。

 また、彼のライブでは、歌の間合いに必ずトークが入る。
 彼が、自分の人生経験から得た教訓、楽しい話、苦労話等を語り始めると、会場の聴衆は知らずと引き込まれてしまう。彼の聴衆は、子供からお年寄りまで実に幅広いようだが、分かるような気がする。

 私が初めて彼に出会ったのは今年の5月、山口県レンタカー協会の通常総会の時だ。  
 総会の会場でライブ演奏・・・なんて、通常は考えられないが、当協会の会長が彼の大ファンという理由から実現することになった。



 一般的にシンガーソングライターの歌は若い人向き・・・と見られがちである。
 事前に、当協会会員にもしっかり宣伝したが、当日の出席者は大して増えなかった。
 しかし、実際に彼の「歌とトーク」を聞いた人は、一様にその魅力の虜になったようだ。

 その後彼は、毎月、当事務局に「風のたより」という手作りの情報誌を送ってくれる。
 それによれば、毎月10回以上県内外のあちこちでライブ演奏で活躍している。
 また、9月下旬からは第3次東北ボランティアとして、被災地である福島県と岩手県の仮設住宅を回る予定とか。
  本当に頭が下がる思いだ。

 彼のコンサート予定や歌の視聴は、彼の下記ブログからできるので、是非、一度のぞいて見て聴いて彼の魅力を知ってほしい。

毛利治郎氏公式ブログ http://www.mourijiro.com/ 

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たい焼き&たい焼アイス やっとこ家


周南にあるたい焼き屋さんを訪ねました。
(国道2号線を岩国方面に向かう三田川交差点を右折、二つ目の信号をまた右折し、5㍍先左手)。

6月頃から8月いっぱいまでは、たい焼きが、たい焼きアイスに変わると言うなんともユニークなお店です(年によって変動有り)。

北海道産小豆自家製つぶ餡に、生クリーム・抹茶・わらび餅・入り等、メニューも豊富。
目移りしましたが、選んだのは抹茶と生クリームをサンドした、たい焼きアイスを注文!
手に持った瞬間、と~ても軽く、焼き目のついたパリッとしたモナカに、餡も甘すぎず絶妙なコラボレーションな、たい焼きアイスだと思いました。

種類は他に、白玉やわらび餅を入ったものもあり、アイスモナカもあるようです。

   ※なんと言っても行列が出来るほどの人気店のようです。



 









   周南市二番町2-13 
12:00~17:30営業  
   火曜日定休日
   0834-21-0969
   駐車場無し
  
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2012年9月3日月曜日

平川の大スギ




 山口市の山口大学近くに、「平川の大スギ」と呼ばれる国指定天然記念物の巨木がある。

 所在地は、近くにある平清水八幡宮の社有地とのことである。
 
 山口大学テニスコート横の県道から案内板に沿って脇道に入り、約1.5km南西方に進み、民家が途切れる非舗装道路を更に約200mほど進むと車両は行き止まりとなる。

 そこから更に案内板に沿って約100m歩いた林の中に、その「大スギ」が天を突いて聳え立っていた。 印象としては、かなり山の奥に入り込むって感じだ。

 説明書きによれば、この大スギの根元の周囲は10.5m、目の高さの幹周り8.5m、高さは約35m
とのことであるが、実際は数株が癒着して1本になったものらしく、確かに地上約4m付近で大きく枝分かれしている。
 
数枚の写真で紹介するが、実物は写真以上に迫力満点だ!





















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大津島「回天基地」


   周南市の「大津島」、
       徳山湾に浮かぶ
  人口約400人の
       のどかな島です。

そんな平和な島に、
今では想像もつかない
    悲惨な歴史の爪痕が
残っていることを
              ご存じですか?



 そうです。ここ大津島には、太平洋戦争末期、日本海軍の特攻兵器の一つである人間魚雷「回天」の訓練基地が設置されていたのです。
 
そんな悲惨な歴史を少しでも心に刻み込もうと、この度、私は一人大津島を訪れてみました。

 周南市築港埠頭を跡にして約40分フェリーに乗り、到着した大津島は実に長閑で自然豊かな平和な島でした。
 しかし、標識に導かれて約5分も歩くと、海に突き出た異様な施設「回天発射訓練基地跡」があり、近くには「回天記念館」もあって黒い異様な「人間魚雷」が目に飛び込んできます。










 「回天」は、日本の敗退が続く中、二人の青年士官が戦局を逆転させるためには特攻しかないとの構想により、日本海軍が実用化した秘密兵器です。
 
二度と戻れない人間魚雷だと知りながら、全国から千人以上の若者が志願したと言われています。
 そして、ここ大津島で訓練を受けた約50基が出撃し、百数十名の若者が尊い命を捧げたわけですが、敵艦撃沈等の戦果は非常に少なかったようです。

 また、記念館には「回天」に関わる遺品や資料のほか、遺書、母への手紙、遺影、遺品等、約1,000点が展示されていました。

 私も息子を持つ母親として、もし自分の息子が同じ運命に置かれたらと想像しただけで胸が張り裂ける思いで、十分正視することもできませんでした。

 現在も、世界のどこかでむごい戦禍が絶えませんが、戦争があれば若者はもちろん、老人、女性、子供たちなど、必ず多くの犠牲を伴い、改めて平和の尊さを痛感した次第です。

 そういう意味でも、一度は訪れる大きな意味を感じる大津島の旅でした。



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手作りシャーベット(道の駅おふく)

美祢市国行交差点から国道316号を長門市方面に約8キロ北上した、
右手に道の駅おふくがあります。大きな看板が目印です。




まず、駐車場に着くなり目についた光景~それは、お客さん達が木陰や店内で、美味しそうに食べている冷たい物・・・それはこの建物の一角にある、おふく手作りシャーベット工房で作られているシャーベットでした。
(近くで栽培された野菜や果物等をベースに使われているようです)






勿論、北海道・ミックス・チョコレートと言ったソフトクリームも販売されてましたが、彩り豊かなシャーベットに目がいき、スタッフさんのお勧めの木苺(豊田前生産)味をいただきました。
連日の30度超えの暑さの中、木苺の甘酸っぱさが身に浸みる程美味しかったです。


他には、栗、メロン、桃、大豆、すいか、小野茶、木苺等250円、サラダホウレンソウのみ230円で販売されております。

   おふく道の駅へお立ち寄りの際は是非!ご賞味あれ。
   隣には温泉、レストランもありますよ。


 美祢市市於福町上4383-1
 定休日 毎月第2水曜日 
   (1月、8月無休)
 営業時間  9:00~18:00
 TEL     0837-56-5005

   

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